こんにちは、ショーイです。
心理学の古典的名著「愛するということ」の独自要約&感想です。
ドイツの心理学者、エーリッヒ・フロムによって1956年に出版されました。
「愛は技術である」という前提を基に、以下のことを伝えてくれます。
- 愛するとはどのような能力か?
- どのようにすれば身につけられるか?
フロム曰く「現代の社会で、本当に愛することができる人は稀である」とのこと。
この記事では「愛するということ」の3つのポイントを、独自要約でわかりやすくまとめていきます。
愛するということは、おたがいに顔を見あうことではなくて、いっしょに同じ方向を見ることだ。
サン=テグジュペリ「人間の土地」
「愛するということ」要約ポイント1:【愛は技術である】フロムの名言
愛とは感情ではなく、”愛する”という技術である。
多くの人は「愛」について、学び、訓練する能力ではなく、相手次第で決まる一種の感情か何かだと思っています。
例えば、こんな感じ。
- 「理想のタイプの人が現れたら、私はその人を愛するのになぁ。」
- 「愛せる仕事場さえあれば、もっと頑張れるのに」
こんな感じで「愛することは簡単にできるけど、愛する対象を見つけることが難しい」と考えている、ということ。
フロムはこう言います。
「生きることが技術であるように、愛も技術である。だから、知識と努力が必要だ」
では愛が技術であり、学べるものであるとしたら、どのように学べばいいのか?
技術を学ぶ過程には「決まった段階」がある
技術を学ぶには決まった段階があり、それは愛の技術も例外ではないとのこと。
そのステップは、たった2つ。
- ①:理論に精通すること(=頭で理解する)
- ②:訓練を積むこと(=実際に行動して、実践する)
シンプルですね。
愛とは何かを学び、愛する練習を日々しなければ、「愛する技術」は身につきません。
「愛するということ」要約ポイント2:愛する技術を理解する
愛は技術であると理解した上で、まずは「愛するとはどういうことか」を頭で理解しましょう。
フロム曰く、愛するとは「自分自身を、能動的に与える行為」だといいます。
ちょっとわかりにくいですね。
それらを能動的に、つまり「自らの意思で、他者に与える行為」のことを指します。
ですが、一方的に自分の話をしたり、相手のことを考えずにお節介を焼くことが、イコール、愛の行為ではありませんよね。
愛の行為の能動的性質には4つの要素がある
能動的性質には、以下の4つの要素が不可欠です。
- 配慮:他人の命と成長を積極的に気にかけること。
- 責任:(※)他人の要求に応じることや、応じる用意があるということ。
- 尊重:相手のありのままの姿を見て、その人が唯一無二の存在であることを知る能力のこと。
- 理解:自分自身の関心を通り越して、相手の立場に立ってその人を見れる能力のこと。
※責任といえば義務のようなイメージを持たれるかもしれませんが、本来の意味は、完全に自発的な行為とのこと。
これらの要素を具体例から見てみましょう。
具体例:子育て
愛することができる人が子育てをする場合、子供のことを常に気にかけ、異常に対して敏感に反応します。
- 「泣き声がいつもと違わないか」「体に異常はないか」ということに常に気を配る。(配慮)
- 子供が何かしらの要求、例えば、ミルクを飲みたいと要求するなら、ミルクを飲ませる責任を感じる。(責任)
- 子供を「自分とは別の個人」とみることができるので、自分の考え方を押し付けたりせず、子供のやりたいことを子供のやりたいやり方でやらせてあげようとする。(尊重と理解)
おそらく多くの親が「自分はできている」と考えていると思います。
実は、ほとんどの人ができていません。
仕事の場合
もう1つ簡単な例をあげると、仕事の場合も同様です。
このように、仕事も能動的に行えるのならば、それは愛の行為となりえます。
「愛すること」はできているようで、できていない
子育てにしろ仕事にしろ、一見能動的に見えても、実際は受動的にこなしているのであれば、それは愛の行為ではなくなります。
能動的ではなく、「受動的に動く例」とは、例えば下記のような感じです。
例1:世間体を気にしているだけ
子供に対してご飯を作ったり「勉強をしろ」と言って配慮しているつもり。
ご飯を作るのも、勉強を強制するのも、親の務めを果たしているという「体裁を保つため。」
恋人や友人、妻や夫に対しても同様です。
内発的な動機(能動的動機)ではなく、なんらかの外発的動機(受動的動機)で動いていませんか?
例2:自分の保身を考えるだけで、いやいや働く
仕事を毎日頑張っているつもり。
このように、私は誰かのために頑張ってる、愛する能力があると思っている人でも、実は「配慮も尊敬も責任も相手に対する思いやりもなく、愛する能力を発揮できていない」場合がほとんど。
冒頭でも紹介したように「現代では、本当に愛する能力を持っている人は珍しい」というのはこういうことなんですね。
では一体どうすれば、本当の愛する能力を身につけられるのか?
「愛するということ」要約ポイント3:愛する技術を訓練する
最後のポイントは、愛するという「技術の訓練」をすること。
まずフロムは、愛する技術に関わらず、どのような技術を身につけるにしろ、大事な要素が3つあるといいます。
技術を身につける「基本的な」3つの要素
技術を身につける上で欠かせない要素とは、以下の3つです。
- 規律
- 集中力
- 忍耐力
簡単に解説します。
1:規律を身につける方法
規律とは、外から押し付けられた規則ではありません。
自分でルールを決めて、それを守ること。それが規律です。
フロムいわく、規律を身につけるコツは「それを守ることが楽しいと感じられるようにすること。」だそう。
他人から押し付けられたルールを守っていても、本当の規律は身につきません。
- ×:会社の規則で8時までには出社する必要があるから、6時半には起きなきゃな。はぁあ、、。
- ○:6時に起きれば30分余裕が生まれて、1日の計画をたてられる。そうすれば生活に余裕も出るだろうし、スッキリとした1日のはじめになるはずだ。よし、毎朝6時に起きるぞ。てことは、寝る時間はもっと早くして、、云々
例えば上記の感じですかね。
2:集中力を身につける方法
集中力を身につけるには、どんなことであろうと、今目の前にあること以外のことは一切考えずに「今を生きる訓練をする」こと。
心当たりありますよね?
瞑想なんかもおすすめです。
3:忍耐力を身につける方法
忍耐力を身につけるには、何事にも潮時があり、闇雲に急ぐと何も身につかないことを理解すること。
これらの規律、集中力、忍耐力は、どのような技術を身につける場合でも必要な要素です。
これらの要素を日常的に訓練したうえで、愛の技術を身につけるのに「特有の3つの要素」を身につける必要があります。
愛の技術に「特有の」3つの要素
愛の技術に特有の3つの要素とは下記。
- 客観性
- 信じること
- 勇気
こちらも簡潔に解説します。
1:客観性と謙虚さ
客観性とは、人間や出来事のありのままのイメージと、自分の欲望や恐怖によって作り上げたイメージとを「区別する能力」のこと。
そしてこの客観性を身につけるには、「感情面での謙虚さ」が必要です。
つまり、自分の感情を一旦置いておいて、相手のことは相手の事と考えられるということです。
ようは感情に判断が持っていかれて、思考停止状態になってるわけです。
感情を一旦置いておくことで、相手のありのままのイメージを捉え、理性を使えるようになって初めて、客観性が身につきます。
2:信じること
信じることとは、自分の思考力、観察力、判断力を信じ、そこから導き出した「理由のある、自分の考えを信じる」ということです。
偉い人や年上の人、上司の言うことを盲目的に信じることではありません。
3:勇気
勇気とは、ある価値を、これが一番大事なものだと判断し、思いっきりジャンプして、その価値に全てをかけることです。
つまり、自分を信じるためにも勇気は欠かせません。
勇気とは、プレッシャーに負けない品格のことだ。
アーネスト、ヘミングウェイ(作家)
「信じること」「勇気」の身につけ方
フロム曰く、信念や勇気は日常的に使われています。
例えば、子供を育てる、眠る、仕事を始める、このような日常的な行為も信念がなかったらできません。
このように普段何気ないところで人は信念や勇気を使っています。
自分はどのような時に、自分を信じることができなくなっているか?または、勇気を失っているか?を観察することが大切です。
このように自分の内面を観察していると、あることに気づくといいます。
自分を観察すると気づくこと
それは「人は意識の上では愛されないことを恐れているが、無意識の中で、愛することを恐れている」ということです。
愛する技術を身につける上での最大の難関は、「愛することに対する恐れ」を克服することなのかもしれませんね。
まとめ:愛する技術を優先するべきではないか?
それでは最後に、「愛するということ」の3つのポイントをまとめるとこのようになります。
- 愛は感情ではなく、技術であると理解すること。
つまり、愛とは運次第で与えられるものではなく、自らの力で身につける能力であるということですね。 - 愛するとはどういうことか?を理解すること。
愛するとは何かを一言でいうと、「能動的に自分の力を使い、最大限の配慮とともに、相手に働きかけること」と言えるでしょう。 - 愛する技術の訓練を積むこと。
頭で理解しているだけでは技術は身につきません。必要な要素を学んだら、それを実践し能力を高めることで徐々に、愛する能力が身についていきます。
映画「レインマン」のモデルにもなり、9,000冊の本を暗記していた世紀の天才「キム・ピーク」も、生前に「愛こそが全てだ」という言葉を残しました。
愛の宣教者として知られるマザー・テレサも「愛の欠如こそ、こんにちの世界における最悪の病です」という言葉を残しました。
フロムも本書の冒頭で、「人は心の底から愛を求めているくせに、ほとんどすべてのものが愛より重要だと考えている」ということに警鐘を鳴らしています。
自分が本当に求めているものは何なのか?自分で自分に問いかけてみることが大切なのかもしれませんね。
今回は以上です!
是非、本書も読んでみてください。
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